東京高等裁判所 平成7年(う)1200号 判決
被告人 永谷裕行
〔抄 録〕
関係証拠によれば、以下の事実が認められる。
1(犯行現場の状況及び時刻) 本件犯行現場は、北側をほぼ東西に走る通称小松橋通りと西側をほぼ南北に走る通称千束通りに接する同区浅草四丁目内にあって、幅員約九・〇五メートルの千束通りから約二五・六〇メートル東側にあるほぼ南北に走る歩車道の区別のない幅員約五・八〇メートルのいわゆる裏通り(以下、「裏通り」という。)を小松橋通りから約一〇〇メートル南下した地点で、ほぼ東西に走る幅員約三・六メートルの横路地との交差点付近である。千束通りはアーケードの設置された商店街であり、昼間は買い物客で賑わい交通量もかなりあるものの、午後八時以降になると商店も閉店し車両等の交通量は極端に減少し、車両及び歩行者ともまばらである。裏通りは、一般住宅、ビル等が入り混じって立ち並ぶ飲食街で、昼夜とも車両及び歩行者の通行量は少なく閑散としており、夜間、前記交差点付近には約一〇メートル先から他人を識別できる程度の明るさの水銀灯が一個設置されているものの、裏通りには街路灯が点在しているだけであって薄暗い場所である。
本件犯行前、被告人らが本件犯行現場で被害者を待ち伏せしていた午前〇時二〇分ころから午前一時過ぎまでの約四〇分間に出会ったのは中年のアベック一組と自転車二台だけであった。本件犯行現場について、被告人は事前に下見して、深夜人通りが少なくひっそりとしていて、裏通りで一番寂しそうなことから犯行場所とすることを考えたものであり、尾竹もまた、同所は薄暗く人通りも少なく、犯行が成功すると思っていた。
2(共犯者) 被告人(当時三九歳)は売上金運搬の任に当たるパチンコ店従業員に液体を浴びせて売上金を奪おうと考えたが、右従業員が若者二人であることから、その反抗を抑圧するためには共犯者が必要であると考え、他の者にも声をかけるなどした後、尾竹(当時二八歳)を誘い犯行を実行したものである。
3(キンカン入りコーラの性能等) 被告人らが被害者らに浴びせた液体はキンカン入りコーラ(以下、「本件液体」ともいう。)であるところ、キンカンは外用鎮痛鎮痒消炎薬であり、アンモニア臭がして、目に入った場合、流涙が起こり強烈に焼けるような刺激感が生じ、状況により結膜部分に充血もしくは浮腫を惹起すると推定されている。そして、被告人は、本件液体を従業員らの顔に浴びせれば、同人らは目に入ったキンカンがしみて二、三分間は目を開けていられないから売上金の入ったバッグを奪うことに対して抵抗できないはずだと考え、尾竹も、薄暗い裏通りで突然キンカン入りコーラを掛けられればどんな者でも恐怖心で一杯になり、目に入れば失明しないまでも刺激のために目を開けていることはできず、抵抗する気持にならないと思っていた。
4(田中に対する犯行態様及び同人の認識) 被害者の一人である田中治(当時二一歳、身長一六三センチ)は、千束通りと小松橋通りとの交差点北東角に位置するパチンコ店からこの裏通りを約二九〇メートル南下した場所にある銀行の夜間金庫に向けて自転車に乗り、売上金を自転車の前かごに入れていた赤堀より若干先行して走行していると、本件犯行現場道路中央付近に後ろ向きに立っている黒っぽいシャツを着た年齢等不詳の男(尾竹)と、右横路地付近に右手に白いコップを持ちサングラスと白いマスクを掛けて立っている身長約一六三センチ、年齢等不詳の男(被告人)を見付けたものの、深く気にとめずに通り過ぎようとした瞬間、右真横の位置から被告人に本件液体を右肩に掛けられた。田中は、強烈な異臭を嗅いで大変なことになったとの恐怖心を抱き、自転車の速度を速めて直進してから振り返ると、被告人が追い掛けてくる姿を認め、刃物で危害を加えられると思ってさらに必死に逃走した。ほぼ四、五〇メートル進んで振り返ると被告人が駆け戻るのが見えたので、付近に自転車を乗り捨て、近くにあった水切り棒を持って戻って行き、横路地を通って犯人らを追い掛ける赤堀の後を追った。
5(赤堀に対する犯行態様及び同人の認識) 被害者の一人である赤堀淳一(当時二一歳、身長一七八センチ)は、本件現場付近で、前記のとおり被告人が突然田中に液体様のものを投げ掛け、これに驚いて南方に逃げる田中を追うのを見て、一瞬驚いて立ち止まろうとしたときに、道路中央付近に後ろ向きに立っていた黒っぽい長袖シャツを着た、三〇歳前後、身長一七〇センチから一七五センチの男(尾竹)から振り返り様不意に本件液体を投げ掛けられ、左目を中心とする両目付近の顔面及び左肩にこれを浴び、顔の皮膚が染み込むように急に痛くなるとともに、両目が開けていられない状態となり、特に、本件液体を多く浴びた左目が急激に痛みだし、自転車から落ちてその場に座り込む格好になった。同人は、手で擦って若干開けた右目で、尾竹が自転車の前かごから現金入りのバッグ三個を鷲掴みにするのを見て、「それはちょっと。」と言ったが、尾竹から睨み付けられ、かつ「この野郎。」と怒鳴られ、凶悪な犯行態様に恐怖感を抱き、犯人が刃物等を持っているかもしれないとの思いも頭をかすめ、バッグを取り戻すなどの抵抗はできなかった。恐る恐る立ち上がった赤堀は、現金入りのバッグを奪い横路地を駆け逃げる尾竹と、駆け戻り尾竹を追い越していった被告人の後ろ姿を見て、これを追い掛け「泥棒、泥棒。」と叫んだが、他に追い掛ける者もなく、尾竹が千束通りに停車してあった自動車に乗り、北上して横路地より一本北側の東西に走る道路に右折して逃走して行ったのを見送るほかなかった。
6(犯行後の状況) 尾竹が逃走して千束通りに出たときには中年のアベックを見掛けただけであった。また、赤堀は、本件直後涙が流出し、二、三分でパチンコ店に戻って店長に本件を報告していたときは、両目を充血させていた。
以上の事実が認められる。
これらの諸事実によれば、被害者は、若者二人とはいえ、深夜、人通りが少なく薄暗い裏通りにおいて、変装した者を含む年齢が壮年で身長差もほとんどない正体不明の男性犯人二名に突然強い刺激臭のする得体の知れない本件液体を浴びせられて驚愕するとともに恐怖心を抱き、田中においては前方に逃げたものの、なおも追跡してくる被告人を見て刃物により危害を加えられるとの恐怖心を抱きさらに逃走し、赤堀においては両目に入った本件液体による急激な痛みを感じ、さらに脅されるなどして、犯人が刃物を持っているかもしれないとの思いも頭をかすめ、金員奪取を阻止できない状態になったものであり、これら被害者の対応はほぼ被告人及び尾竹の予期していたとおりでもある。結局、本件における被告人らの行為は、一般に人の反抗を抑圧するに足る程度のものと認められ、強盗罪における暴行、脅迫に該当するというべきである。
(小林 中野 小川)